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テニススクール
スクールの指導は中野吉隆(日本プロテニス協会認定プロフェッショナル1)が直接おこなっています。 レッスンは第一に楽しく、多くのボールを打ってもらっています。テニスの視野を広く持ってもらうために 色々なやり方にもチャレンジしてもらっています。錦織、世界ランク19位に!
ここのところずーと世界ランクを17位でキープしていた日本のエース錦織選手、怪我で欠場してしている間に、下の選手2人にポイントで抜かれて19位に落ちてしまいました。
昨年10月に彼が日本人最高の世界ランク30位になった時に、アメアスポーツさん(ウイルソンの代理店)からいただいた特大のポスターをショップに掲示しています。そのポスターの上のほうには順位が書き入れてありました。
でもその後も錦織選手は活躍してランキングを上げていきましたので、実際と食い違う順位、特に実際より下の順位を掲示するのもいやなので、毎週月曜日にポスターの左上の順位を書き換えておりました。
しばらく楽させてもらっていたのですが、今回久々に書き換えないといけません。
もちろんもうすぐ始まる全仏で活躍してくれて、ランキングがジャンプアップしたときの用意もしていますよ。
デビスカップ、対クロアチア戦
三木のビーンズドームで行われた男子国別対抗のデビスカップ、そのワールドグループでの戦い、悔しいー! でもいい試合でした。結果は新聞にも載りましたしスポーツニュースでもやっていましたが、一応まとめてみました。
初日
添田 6-7、3?6、6?4、6?3、7?5 ドディグ
錦織 4?6、4?6、3?6 カルロビッチ
二日目
伊藤・杉田 4?6、4?6、6?3、3?6 ドディグ・カルロビッチ
最終日
錦織 7?5、7?6、6?3 ドディグ
添田 6?7、1?6,4?6 カルロビッチ
ところで「クロアチアってどんな国?」って思いませんでしたか?
私はゴラン・イバニセビッチというウインブルドンタイトルを持つ魅力的なプレーヤーが、かつてユーゴスラビア国籍からクロアチアに変わったことで、ユーゴが分裂してクロアチアとセルビアとモンテネグロに分かれたのか、とぐらいにしか思っていなかったのですが、実は複雑なんですね。
かつてのユーゴスラビアは1991年にスロベニア共和国、クロアチア共和国が独立し、1992年にマケドニア共和国、ボスニア・ヘルツェコビナ共和国、1993年にセルビア・モンテネグロとして国家体制をとっていたものが2006年にセルビア共和国とモンテネグロ共和国に独立した、と言うことです。つまりユーゴスラビアは現在では6つの国家に分かれたということです。
それにしてもこれらの国には、体が大きくて強いテニス選手が多いですね。
オーストラリアンオープン結果
女子はアザレンカのグランドスラム初優勝、男子はニュースやスポーツニュースでも報道されましたが、ジョコビッチがグランドスラム決勝としては史上最長の激戦を制して全豪3度目の優勝を飾りました。私の表現力では現しきれないスリリングな素晴らしい試合でした。N〇〇さんでも放送してくれたらいいのにねえ・・・。
これぞ世界のトップ!45秒で33ショット!
何のこと?って思いましたか、先日のATPワールドツアー・ファイナルズでのナダル対フェデラーのファーストセット第6ゲームの第4ポイントでのことです。
お互いサービスキープでフェデラーの3?2、ナダルのサーブ0?40で、ナダルがアドコートからフェデラーのバックにサーブを入れてからベースラインでの激しいラリーが続き、最後にナダルがバックのクロスをアウトするまでなんと、サーブを入れて33ショット、ナダルがサーブを打ってからナダルのバックがコート外に落ちるまで45秒でした。
たまたまこのラリーでは両者ともフォアバックともに8本ずつ打ちましたが、グランドストロークのみでロブはありませんでした。お互い相手を攻撃しあって最後はフェデラーがナダルのバックを続けて攻め、ナダルがこらえきれずに無理に強打してミスさせられた感じでした。
以前にスクールの中で皆さんに「1分間で16往復以上ラリーしましょう」って練習をしてもらいましたね。16往復つまり32ショットなんですが、なかなか出来ない人が多かったですね。当時のジュニアとコーチで最高22往復出来た子もいましたがそれはお互いフォアを狙って打ったからできただけのこと。
お互いが左右に走り回ってウイナーを狙って打って、45秒で33ラリーが続くなんてさすがは世界のトップと言うほかありません。すばらしいラリーでした。
「今日のフェデラーに勝つにはどうしたらいいんだ」なんてナダルが思ったかどうか、この長いラリーを失ったナダルがこのあと崩れていったような気がして、それを検証すべく映像をチェックしてみて改めて驚きました。
東北地方太平洋沖地震について
大変なことが起きてしまいました、16年前を思い出します、あの時1月に震災があって、4月になってやっとテニス出来る状態の方々にタオルや石鹸をお預かりして、被災のひどい地域に届けたりしながらスクールを再開しました。
今、元気な私たちに出来ることは、より元気に働き、遊び、余裕がある人は自分が出来る形で困っている人々を助けることだと思います。
今回、みなさんはテレビ等で見て知っておられると思いますが、被災地への助けとして「義援金」が集められています。
ウエストヒルではこれまでショップのカウンターの募金箱で集めた、みなさんの善意の込められたお金を、エイズ患者や交通遺児に送ってきましたが、今回は東北地方太平洋沖地震の被災者への「義援金」にさせていただきます。
今までに集まっている分は3月22日に振込むことにいたしました。
どうかよろしくご理解ください。